本年度後期は物理学科3年生向けの「物理学実験(X線回折)」を担当することになりました。 その講義では単結晶にX線を当ててミクロな結晶構造を解析します。そのデモンストレーション実験として、アリゾナで手に入れた「ある鉱物」の粉末X線回折を行い、「宝石鑑定」を行いましたので、今日はそれにまつわる柳澤の米国在留時代のお話をします。 スクッテルド鉱 その「鉱物」は「スクッテルダイト(スクッテルド鉱)」と言われる鉱物です。名前の由来はその鉱物が初めて発見されたノルウエーの片田舎にある「Skutterud(スクッテルド)」という鉱山の町。そこは古くからコバルト(Co:原子番号27)がザクザク採れる鉱山として知られていたそうです。(※後日、2011年に実際に訪れてきました。写真はこちら。) 図1 ノルウエーのスクッテルド鉱山(Google Mapより) スクッテルダイトを化学式で表すとCoAs3になります。Coと共に化合物を形成しているAs(原子番号33)はヒ素として知られる猛毒ですね。防毒マスクの無い時代、鉱夫たちは猛毒の粉塵の中で過酷な作業をしていたことが想像されます。米国ワシントンにあるスミソニアン博物館にスクッテルダイトの標本を見つけました。こちらはモロッコの鉱山で採取された多結晶ですが、直径20cm程もある巨大な塊です。よくみると多面体の単結晶がいくつも寄り集まっています。 図2 ナショナルミュージアムに展示されているスクッテルダイトの標本 私がこの鉱物に興味をもった理由は、私の研究テーマがそのものずばり「スクッテルダイト化合物」だからです。下の図3(左)をごらんください。スクッテルダイトの結晶構造を図示してあります。コバルト(遷移金属)はジャングルジムのような立方格子を形成しており、そのうち6箇所の隙間にヒ素(プニクトゲン)が正方形の輪をつくっています。格子の間隔はa = 0.8204 ナノメートルです。 一方、図3(右)は私が実験室の試験管の中で育成したスクッテルダイトです。プニクトゲンが入っていない格子の隙間に、希土類原子が1個ずつ詰め込まれた(充填された)構造になります。そのことから、右の物質は「充填スクッテルダイト」と呼ばれています。このような特殊な結晶構造を持つ所為で、充填された希土類原子の電子状態が周りを取り囲むカゴ状の原子から強い影響(主にクーロン相互作用)を受けることになり、様々な「風変わりな性質」を示すことがあります。私の研究テーマはその中でも、充填された原子が「原子のカゴ」の中で「ガラガラ」と揺れる「ラットリング現象」とそれにまつわる風変わりな物性です。 図3 左:(非充填)スクッテルダイトAX3と、右:充填スクッテルダイトMA4X12の結晶構造 右と左の根本的な違いは? 右のNdOs4Sb12は私が実験室で創った人工物。 左のCoAs3は地球の偉大なる造山活動の偶然の産物。 スクッテルダイトを自分で作っている者として、私は大自然が創った図3(左)の「スクッテルダイト」をどうしても手にいれて、自分自身の手で結晶構造を解析してみたかったのです。そのためにカリフォルニア州から1日車を運転してアリゾナ州まで行ってきました。 図4 実際に私が手に入れたスクッテルダイト 世界最大の鉱物見世物市「ジェム・ショー」 GEM SHOW(ジェム・ショー)とは、アリゾナ州南部の街ツーソンで毎年2月に一ヶ月にわたって開催される世界最大の鉱物見世物市です。全世界の鉱山から、宝石や綺麗な水晶、化石や宝石の台座、それらをディスプレイする棚まで売っています。 ツーソンは、天体観測で有名なアリゾナ大学がある砂漠の街。2007年2月。ちょうど生物学者の友人夫妻がそこに住んでいたので一緒に見物に行ってきました。 図5 街じゅうのモーテルを借り切って、街ぐるみでお祭り騒ぎで行われる見世物市です。さすがにアリゾナの砂漠だけあって冬なのに日差しが強いです。 膨大な出店の中、聞き取り調査をしていくと、チェコからやってきた来た商人のお兄さんのお店が、そういったレアな石を扱っているとの情報をGET。そのチェコの商人を捜し出し、「スクッテルダイト持ってる?」と訊くと 「うーーん」とうなった後、「たしか1個あった。」 との返答。 部屋の中にはそれこそ数千の在庫があるのに、その在庫を把握しているあたり。プロですな。全てのミネラルは丁寧に梱包され、ナンバリングされ、お兄さんの秩序で整理されています。しかもその位置がおにいさんの頭の中には全てインプットされているらしく、ごそごそと箱を取り出して探すこと約十分。 ありました! ノルウェーでもなく、モロッコでもなく、チェコのPfibram鉱山の21番採掘抗で採れたスクッテルダイトだそうです。写真の私は、地球が創ったスクッテルダイトを手にすることが出来て感無量の表情をしています。もちろん値引き交渉して買いました。$35也。最後は硬い握手をして別れました。素手で触っていたので、僕らの手には砒素(As)がたくさんついていたはずです。 全く興味ない方には、どうでもいい話ですが人の嗜好というものは、そういうものだと思います。 野球好きの人がサインの入ったホームランボールを大事にしているのに似ているかもしれません。 以上は、僕がカリフォルニア大で修行していた時代の話。アリゾナでGETしたスクッテルダイトを日本に密輸し持ち込み1年ほど経過しましたが、先述の通り北海道大学でX線回折の講義を担当することになったので、これは良い機会とばかりにさっそくデモ実験を行います。 実験はMAC Science社のX-ray Diffactometerを使います。乳鉢の中ですりつぶした試料をグリースでスライドグラスに塗布し、X線ビームを当て、回折X線をもう一方の回転ステージに取り付けられたディテクターで検出します。ディテクターと入射X線は、試料に対する入射角θに対して常に2θの関係になるように歯車が回るので、高校の理科で習ったブラッグの関係(2d Sinθ=nλ)を満たすピークを検出できます。 測定結果は以下の通りです。液晶画面に映し出されているのがCoAs3の結晶構造と、理論計算から描画した粉末X線回折スペクトル。手前に立てかけてあるA4のコピー紙に印刷されたのが、アリゾナで買ったスクッテルダイトのX線回折スペクトル(実験結果)です。 おおまかに見比べてもほぼ同じ角度に同じ相対強度のピークが検出されていることがわかります。さらに詳しく観てみると、物質に特有の格子定数、結晶構造を反映したピーク位置と強度(2theta = 16.3 deg. (100%), 22.85 deg. (45 %), 26.06 deg. (31.1 %), 19.16 deg. (29.1 %),... etc)がぴったり一致していました。 図 粉末X線回折スペクトルの結果 理論計算値(上画面)と実験結果(下A4紙) エピローグ というわけで、アリゾナで買った石はスクッテルダイト構造を持っているということが検証されました。 先日日記に書いたEPMA(特性X線を用いた元素分析)を使えば、CoとAsの組成比1:3を調べることもできるでしょう。それらの合わせ技で宝石鑑定書のできあがりです。めでたしめでたし。 僕は$35払ってまがい物を掴まされたわけではないということが証明されました。それはすなわち、あのチェコのお兄さんが誠実な商人だったことを裏付けるものでもあったのでした。 (おわり) おまけコーナー・・・「GEMSHOWのMore写真と柳澤の新聞デビュー」 メテオライト(隕石)、 アンモナイト(渦巻き蛸の化石)、アメジストの鉱脈、その他いろいろ。百科事典でしか観たことのないレアな鉱物が所狭しと並んでいます。 出店者の出身はモロッコ・フランス・チェコスロバキア・チリ・ブラジル・アルゼンチンなど、本当に多国籍。いろんな国の言語と、いろんな国の煙草のにおいが充満している変な空間でした。 コンベンションセンターのメイン会場を中心に、街中のモーテルを借り切って、各業者がそれぞれ差別化をはかった物を売っています。床もバスタブもベッドの上も石だらけ。 業者による業者のための市場らしく、箱買いもあるようです。 部屋単位で、「ここの部屋の鉱物全部で1万2千ドル(120万円)」なんて値札もありました。 さて、当日は天気もよかったので露店をうろうろして学生実験に使えそうなクオーツ(SiO2)の結晶を物色していたところ・・・ なんと、わたくし、アリゾナの地方紙、 ARIZONA DAIRY STARの社会面の写真をでっかく飾ってしまいました。 キャプションには「日本からやってきたTatsuya YANAGISAWAと***(友人の名前)は、ツーソンで開催されているGEMSHOWでクオーツの単結晶を物色していた。」 犯罪でもノーベル賞でもなく、週末にツーソンで石を物色しているところを盗撮され海外の新聞デビューを果たしてしまったのは、なんだか複雑な気分です。でも良い思い出になりました。 2007年2月5日付 Arizona Daily Star(アリゾナ州の地方新聞)より
本年度後期は物理学科3年生向けの「物理学実験(X線回折)」を担当することになりました。 その講義では単結晶にX線を当ててミクロな結晶構造を解析します。そのデモンストレーション実験として、アリゾナで手に入れた「ある鉱物」の粉末X線回折を行い、「宝石鑑定」を行いましたので、今日はそれにまつわる柳澤の米国在留時代のお話をします。
スクッテルド鉱
その「鉱物」は「スクッテルダイト(スクッテルド鉱)」と言われる鉱物です。名前の由来はその鉱物が初めて発見されたノルウエーの片田舎にある「Skutterud(スクッテルド)」という鉱山の町。そこは古くからコバルト(Co:原子番号27)がザクザク採れる鉱山として知られていたそうです。(※後日、2011年に実際に訪れてきました。写真はこちら。)
図1 ノルウエーのスクッテルド鉱山(Google Mapより)
スクッテルダイトを化学式で表すとCoAs3になります。Coと共に化合物を形成しているAs(原子番号33)はヒ素として知られる猛毒ですね。防毒マスクの無い時代、鉱夫たちは猛毒の粉塵の中で過酷な作業をしていたことが想像されます。米国ワシントンにあるスミソニアン博物館にスクッテルダイトの標本を見つけました。こちらはモロッコの鉱山で採取された多結晶ですが、直径20cm程もある巨大な塊です。よくみると多面体の単結晶がいくつも寄り集まっています。
図2 ナショナルミュージアムに展示されているスクッテルダイトの標本
私がこの鉱物に興味をもった理由は、私の研究テーマがそのものずばり「スクッテルダイト化合物」だからです。下の図3(左)をごらんください。スクッテルダイトの結晶構造を図示してあります。コバルト(遷移金属)はジャングルジムのような立方格子を形成しており、そのうち6箇所の隙間にヒ素(プニクトゲン)が正方形の輪をつくっています。格子の間隔はa = 0.8204 ナノメートルです。
一方、図3(右)は私が実験室の試験管の中で育成したスクッテルダイトです。プニクトゲンが入っていない格子の隙間に、希土類原子が1個ずつ詰め込まれた(充填された)構造になります。そのことから、右の物質は「充填スクッテルダイト」と呼ばれています。このような特殊な結晶構造を持つ所為で、充填された希土類原子の電子状態が周りを取り囲むカゴ状の原子から強い影響(主にクーロン相互作用)を受けることになり、様々な「風変わりな性質」を示すことがあります。私の研究テーマはその中でも、充填された原子が「原子のカゴ」の中で「ガラガラ」と揺れる「ラットリング現象」とそれにまつわる風変わりな物性です。
図3 左:(非充填)スクッテルダイトAX3と、右:充填スクッテルダイトMA4X12の結晶構造 右と左の根本的な違いは? 右のNdOs4Sb12は私が実験室で創った人工物。 左のCoAs3は地球の偉大なる造山活動の偶然の産物。
スクッテルダイトを自分で作っている者として、私は大自然が創った図3(左)の「スクッテルダイト」をどうしても手にいれて、自分自身の手で結晶構造を解析してみたかったのです。そのためにカリフォルニア州から1日車を運転してアリゾナ州まで行ってきました。
図4 実際に私が手に入れたスクッテルダイト
世界最大の鉱物見世物市「ジェム・ショー」
GEM SHOW(ジェム・ショー)とは、アリゾナ州南部の街ツーソンで毎年2月に一ヶ月にわたって開催される世界最大の鉱物見世物市です。全世界の鉱山から、宝石や綺麗な水晶、化石や宝石の台座、それらをディスプレイする棚まで売っています。
ツーソンは、天体観測で有名なアリゾナ大学がある砂漠の街。2007年2月。ちょうど生物学者の友人夫妻がそこに住んでいたので一緒に見物に行ってきました。
図5 街じゅうのモーテルを借り切って、街ぐるみでお祭り騒ぎで行われる見世物市です。さすがにアリゾナの砂漠だけあって冬なのに日差しが強いです。
膨大な出店の中、聞き取り調査をしていくと、チェコからやってきた来た商人のお兄さんのお店が、そういったレアな石を扱っているとの情報をGET。そのチェコの商人を捜し出し、「スクッテルダイト持ってる?」と訊くと 「うーーん」とうなった後、「たしか1個あった。」 との返答。
部屋の中にはそれこそ数千の在庫があるのに、その在庫を把握しているあたり。プロですな。全てのミネラルは丁寧に梱包され、ナンバリングされ、お兄さんの秩序で整理されています。しかもその位置がおにいさんの頭の中には全てインプットされているらしく、ごそごそと箱を取り出して探すこと約十分。
ありました!
ノルウェーでもなく、モロッコでもなく、チェコのPfibram鉱山の21番採掘抗で採れたスクッテルダイトだそうです。写真の私は、地球が創ったスクッテルダイトを手にすることが出来て感無量の表情をしています。もちろん値引き交渉して買いました。$35也。最後は硬い握手をして別れました。素手で触っていたので、僕らの手には砒素(As)がたくさんついていたはずです。
全く興味ない方には、どうでもいい話ですが人の嗜好というものは、そういうものだと思います。 野球好きの人がサインの入ったホームランボールを大事にしているのに似ているかもしれません。
以上は、僕がカリフォルニア大で修行していた時代の話。アリゾナでGETしたスクッテルダイトを日本に密輸し持ち込み1年ほど経過しましたが、先述の通り北海道大学でX線回折の講義を担当することになったので、これは良い機会とばかりにさっそくデモ実験を行います。
実験はMAC Science社のX-ray Diffactometerを使います。乳鉢の中ですりつぶした試料をグリースでスライドグラスに塗布し、X線ビームを当て、回折X線をもう一方の回転ステージに取り付けられたディテクターで検出します。ディテクターと入射X線は、試料に対する入射角θに対して常に2θの関係になるように歯車が回るので、高校の理科で習ったブラッグの関係(2d Sinθ=nλ)を満たすピークを検出できます。
測定結果は以下の通りです。液晶画面に映し出されているのがCoAs3の結晶構造と、理論計算から描画した粉末X線回折スペクトル。手前に立てかけてあるA4のコピー紙に印刷されたのが、アリゾナで買ったスクッテルダイトのX線回折スペクトル(実験結果)です。
おおまかに見比べてもほぼ同じ角度に同じ相対強度のピークが検出されていることがわかります。さらに詳しく観てみると、物質に特有の格子定数、結晶構造を反映したピーク位置と強度(2theta = 16.3 deg. (100%), 22.85 deg. (45 %), 26.06 deg. (31.1 %), 19.16 deg. (29.1 %),... etc)がぴったり一致していました。
図 粉末X線回折スペクトルの結果 理論計算値(上画面)と実験結果(下A4紙)
エピローグ
というわけで、アリゾナで買った石はスクッテルダイト構造を持っているということが検証されました。 先日日記に書いたEPMA(特性X線を用いた元素分析)を使えば、CoとAsの組成比1:3を調べることもできるでしょう。それらの合わせ技で宝石鑑定書のできあがりです。めでたしめでたし。
僕は$35払ってまがい物を掴まされたわけではないということが証明されました。それはすなわち、あのチェコのお兄さんが誠実な商人だったことを裏付けるものでもあったのでした。
(おわり)
おまけコーナー・・・「GEMSHOWのMore写真と柳澤の新聞デビュー」
メテオライト(隕石)、 アンモナイト(渦巻き蛸の化石)、アメジストの鉱脈、その他いろいろ。百科事典でしか観たことのないレアな鉱物が所狭しと並んでいます。
出店者の出身はモロッコ・フランス・チェコスロバキア・チリ・ブラジル・アルゼンチンなど、本当に多国籍。いろんな国の言語と、いろんな国の煙草のにおいが充満している変な空間でした。
コンベンションセンターのメイン会場を中心に、街中のモーテルを借り切って、各業者がそれぞれ差別化をはかった物を売っています。床もバスタブもベッドの上も石だらけ。
業者による業者のための市場らしく、箱買いもあるようです。 部屋単位で、「ここの部屋の鉱物全部で1万2千ドル(120万円)」なんて値札もありました。
さて、当日は天気もよかったので露店をうろうろして学生実験に使えそうなクオーツ(SiO2)の結晶を物色していたところ・・・
なんと、わたくし、アリゾナの地方紙、 ARIZONA DAIRY STARの社会面の写真をでっかく飾ってしまいました。
キャプションには「日本からやってきたTatsuya YANAGISAWAと***(友人の名前)は、ツーソンで開催されているGEMSHOWでクオーツの単結晶を物色していた。」
犯罪でもノーベル賞でもなく、週末にツーソンで石を物色しているところを盗撮され海外の新聞デビューを果たしてしまったのは、なんだか複雑な気分です。でも良い思い出になりました。
2007年2月5日付 Arizona Daily Star(アリゾナ州の地方新聞)より
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よく始められた仕事は、半ば終わったものである。プラトン(B.C. 427-347)
2023-2025年度 学術変革領域研究(A) 「精密物性測定によるアシンメトリ量子物質の新機能開拓」(23H04868)
2022-2024年度 基盤研究C 「超音波と複合外場を用いた奇パリティ拡張多極子の検出」(22K03501)
2021-2024年度 国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B)) (21KK0046)「ウランを含む強相関電子系化合物の国際先端研究協力ネットワークの持続的発展と強化」