2011年3月6日〜10日、松王、佐藤、尾崎、小野田の4名でカンザス州立大学の Bruce Glymour 教授のもとを訪れ、集中講義「科学の哲学と方法(Topics in Philosophy and Methodology of Science)を受講しました(授業としては3月7日と8日の二日間行われました)。以下、その簡単な報告をしておきます。
この講義の受講は、松王-Glymour間で2009年から打ち合わせを重ねて実現したものです。松王とGlymourは、「科学哲学の議論を科学教育(科学基礎論教育)の中でいかに活かすことができるか」という共通の関心をもち、一年以上いろいろな議論をしてきましたが、Glymourがこの分野の教育ですでに実績を上げていることから、これを科学基礎論研究室の学生ともども実際に体験しようと、さまざまな準備を重ねて今回実現に至りました。
Glymourの教育方法のベースは、因果的推論に関して科学哲学分野で1980年代後半から新たに提唱された考え方にあります(この考え方は、これを発展させたPeter Spirtes, Clark Glymour, Richard Scheines 3人の頭文字をとって、SGSと呼ばれる場合があります)。この考え方は、それまでの科学哲学で因果性についての議論が、その適切な「定義」が何かに関わるものであったのに対し、測定可能なデータから、事象間の因果関係について、何が言えて何が言えないかの具体的な条件を明らかにすることへと議論の焦点を移行させて、展開されてきたものです(科学哲学における因果性の議論の変遷については、シャイネスの解説論文がたいへん参考になります)。
その条件は、単純なステップの積み上げにより得られる非常に明解なものなのですが、残念ながら、なかなか一言二言で定式化することはできません。導出の基本的な手順のみ記しておきますと、因果性の条件は、マルコフ条件を第一の前提として、因果グラフの理論から導かれる基本的な事象関係(d-saparation, d-connection)に基づき、事象間に成立する関係を適切に整理分類する中で導かれる、ということになります(こうした条件の網羅的な分析が、SGSの三人によってCausation, Prediction, and Search (The MIT Press, 2000)にまとめられています)。
この考え方のアウトラインを知る上では、シャイネスによるもう一つのの解説論文が役立ちます。また、興味のある方は、以下の【予習編】2で触れているカーネギーメロン大学ウェブサイトOLIの ‘Causal and Statistical Reasoning’(特にUnit3)をぜひ覗いてみて下さい。(下はOLIのd-separation 'Overview' とチュートリアル画面)
今回の授業は、このSGSについての基本理解を前提として、その背景についてのより深い理解と、具体的なデータを基にした因果推論の実践的な練習とで構成されました。Glymourのこの科学基礎論授業は、もともと哲学の知識や統計学の知識をほとんど前提としないもの(と彼は述べている)ですが、今回参加した学生3名が科学哲学を専門にしているので、より掘り下げた特別なプログラムを用意してくれました。
講義に先立つ予習の内容、ならびに授業内容は以下のとおりです。
初日は、SGSの問題意識につながる科学哲学の議論の系譜について話があったあと、OLIで学習した因果推論の簡単な復習が行われ、二日目はSGSの応用実習として、SGSの考え方に基づくプログラムTETRADを用いたデータ分析の練習が行われました。参加した3名の学生による簡単な報告と授業を受けた感想は、以下のとおりです。
[第一日目]
[第二日目]
上にも述べたとおり、今回の授業は科学哲学の院生を相手にした内容であったために、確率・統計の哲学的知識(ベイズ主義、尤度主義、頻度主義の基本的な違いなど)をある程度前提にして組み立てられており、哲学的な講義の部分はかなりハードでしたが、自習用のOLIコースウェアおよびTETRADの使用は必ずしも特別な前提知識を必要としないため、後半の実習部分は非常に取り組みやすいものでした。SGSの考え方は、一通り習得するには少し時間がかかりますが、シンプルかつ強力です。理系(および統計的因果推論を必要とする社会科学系)の学生たちはふだん、因果性とデータとの関係について、その基本前提から深く考えることはさほど多くないと思われますが、SGSはそれを考えるための一定の手続きを明解に示したもので、因果性についてより慎重な判断を行う有効な手立て(あるいは訓練)になると考えられます。
もちろん、科学哲学の議論の中ではSGSの方法論的限界を指摘するものもあり、また科学のどの分野にも等しく有効にこの推論方法が適用できるのかについては、多少疑問の残る部分もあります(このあたりについては、また改めて議論するつもりです)。しかし、統計的因果推論というアプローチでは、今のところこれに勝る強力な方法は展開されておらず、また科学哲学における議論で、これほど実際の科学に近いところでの議論はおそらくないでしょう。科学哲学の科学教育への応用を探るという点で、今回の授業参加はたいへん有意義であったと思います。
なお、Glymour氏には、授業後も連日レストランやパブで議論を続けてもらい、自宅に招いてバーベキューパーティで持てなしていただくなど、たいへんお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。
また、授業に飛び入り参加し、授業を中断して物理哲学についてともに熱い議論をしてくれた Scott Tanona氏、および松王と旧知で、今回の企画を全面的に支援してくれた社会・政治哲学者のJohn Exdell氏(Exdellご夫妻も心に残る素晴らしいパーティを開いてくれました)、そして、この特別講義への参加を許可し、学生の登録面などで数々のサポートをいただいたカンザス州立大学に、心から感謝します。
[この企画は、科研費研究「科学的方法論を主題とした理系学生の教育プログラム構築」(課題番号22500837,研究代表者:松王政浩)の研究の一部をなしており、また佐藤、尾崎、小野田の三名の学生の渡航費用は、北海道大学海外教育交流支援事業の助成金(採択課題名:カンザス州立大学との教育交流)によるものです。
なお、わたしたちが帰国する予定であった3月11日、東日本大震災が発生し、航空機が成田入りできずにアンカレジに引き返すということがありました。現地のニュースで事態をおよそ把握していたものの、帰国して改めてその被害の深刻さに胸が詰まりました。被災地の復興・支援に、科学哲学は直接役に立つものではないかもしれませんが、日本がこの艱難を乗り越えて復興するプロセスのどこかに、必ずや科学哲学も貢献できる部分があると信じ、被災された方々とともに、私たちもこの局面に真剣に向き合っていきたいと思います。]