第一日・因果性をめぐる哲学的議論のまとめ

 第一日目の授業前半では、後半のモデル構築の話の背景となる、哲学的議論が紹介された。具体的には因果に関する伝統的な哲学的議論、確率・統計にかかわるさまざまな科学哲学上の議論を取り上げ、理論選択やモデルについての哲学的議論が行われた。
 伝統的な哲学議論としては以下のトピックが取り上げられた。

  • デカルト以前の哲学(目的論)
  • デカルトの懐疑
  • 帰納の問題1 ヒュームの議論
  • 帰納の問題2 グッドマンの議論(grueのパラドックス)

 確率統計にかかわる哲学としては以下のトピックを中心に議論が行われた。
  • ベイズ主義
  • 尤度主義
  • エラー統計
  • モデル選択基準AIC, BIC

 科学は個別の観察から、世界について確かな知識を得ようとする活動である。講義では、この知識をめぐるこれまでの様々な哲学的議論について、それらが知識の「信頼性(reliability)」の基準をどう捉えてきたのか、またその本質的な違いは何かという観点で説明がなされた。また、科学理論について考える場合に、科学が実際にどう使われているか、何を目的とするかという点に目を向けることが必要であるという指摘があった。

◈ 伝統的な哲学議論

 デカルトの議論は、世界についてのすべての可能な信念が観察(データ)によって正当化されるという主張は維持できないというものであり、ヒュームの議論は過去についての経験から未来についての予測を行うという帰納的な推論は正当化できないというものである。これらの議論から得られる信頼性(reliability)の基準とは、「科学理論が実際上役立っている現在」という限られた範囲で科学理論の確かさを認めるものといえる。» 関連論文1,2
 grueのパラドックスは、過去についての経験から未来についての予測を行う際に自然種を前提とする推論、つまり、理論の対象のカテゴリーが変化しないという前提を正当化する根拠はないという議論である。
 この議論における信頼性(reliability)の基準とは、理論が論理的に真かどうかよりも、予測という目的にかなっているかというものである。(そのため、理論の対象のカテゴリーが変化しないprojectibleな術語を選ぶ。)» 関連論文3

◈ 伝統的な哲学と確率統計の哲学の関係について

 伝統的な哲学においては、科学理論とは、個別の観察(データ)から永続的な世界像を描くものである。つまり、個別の観察から世界像を描く科学理論が構成される、理論とは個別の観察から推論規則によりすべての場合についての将来の予測が得られる、これが科学の描像であり、その確かさがいかに保証されるか、理論がいかに正当化されるかということが認識論的な問いとなる。そして、世界の因果的な構造についての問いは、個別の観察と将来の予測を結びつける推論規則についてのものであるが、ここでの推論規則は論理的な、つまり、すべての対象を確実に結びつけるものであり、このような規則の確かさがどのように正当化されるか、あるいはそのような規則が存在するかということが因果にかかわる問いとなる。

 一方、確率統計を前提とした哲学において、科学像は、個別の観察(データ)から確実な将来予測を与える理論を得るというものではなく、データと予測の間の不確実な関係を前提としたモデル構成となる。それは多数の観察データ(サンプル)から統計的モデルを構成する、すなわち、モデルの確率分布関数、パラメータを特定する、つまり、母集団から標本を選び、推論により変数を決定するというものとなる。そして、推論規則の選択は伝統的な哲学とは異なり、データと理論の結びつきについて、メカニズムを問うのではなく、仮定的な推論により安定した世界像を得ることを目指すものとなる。このように確率統計を前提とした哲学においては、データと予測の間の不確実な関係を前提とし、変数をデータとモデルを結びつける推論規則をどう選ぶか、モデルをどう評価し、選択するかということが認識論的な問題の中心となる。

◈ 確率統計にかかわる議論の紹介

ベイズ主義と尤度主義

 ベイズ主義はデータのもとでの理論の確率 Pr(T|D)に注目する立場であり、尤度主義は理論のもとでのデータの確率Pr(D|T)に注目する立場である。 ベイズ主義ではベイズの定理を使ってデータのもとでの理論の確率 Pr(T|D)(事後確率)の最大化により、より確からしい理論が得られ、多数の競合理論の中で最も適切な理論を選択することができると主張する。一方で、すべての場合を尽くさなければ理論の評価ができない困難(catch all問題)やold evidenceといった問題を抱えている。
 尤度主義は理論のもとでのデータの確率Pr(D|T)の最大化を理論選択の基準として主張する。ベイズ主義の抱える問題を避けることができるが、Pr(D|T)の最大化が理論選択の基準として妥当であるということを経験による以外に訴えることができないという弱点を持つ。» 関連論文7およびEvidence and Evolution (ch1. Evidence)

エラー統計

 有意差検定(significance test)、つまり仮説が正しいときにこれを棄却してしまう誤りの確率、または、仮説が誤りであるときに仮説を棄却しない誤りの確率を用いて、仮説の評価、理論の評価を行う。哲学的な議論としては、このような伝統的統計学の手法が適切に用いられる条件が何かを追求する。» 関連論文11,12,13今回の講義では、時間の関係で、この立場についてはそれほど詳しく触れられなかった。

モデル選択基準AICとBIC

 AIC (Akaike Information Criteria, 赤池情報量基準)は最大対数尤度とパラメータ数を含んだ指標であり、尤度が大きく(適合度が高い)、パラメータ数が小さい(単純)モデルでより小さい値をとる。このようなAICの値を最小にするモデルがよいモデルであるというモデル選択の基準である。
 また、BIC (Bayesian Information Criteria, ベイズ情報量基準)はAICのパラメータ数をパラメータ数にサンプル数の対数を乗じたもので置きかえたものであり、モデル選択の基準の1つである。» 関連論文9,10

◈ モデル選択の基準について

 モデル選択の基準についてさまざまなレベルの基準があることが示され、それぞれの基準の内容や観点の違い、真なるモデルを得るために、どのような点に考慮すべきかなどが示された。» 関連論文9,10

予測(prediction)と適合(accommodation)

 有限のデータからモデルを構成する場合、Pr(D|T)の最大化の立場(尤度主義)では与えられたデータにうまく適合したモデルとなるが、過剰適合の問題(モデルが複雑過ぎ、誤った予測をするおそれがある)がある。
 一方Pr(T|D)を最大化する立場(ベイズ主義)では予測の確からしさは増し、モデルは単純になるが与えられたデータに合致しないおそれがある。
 → データへの適合という基準ではどちらのモデルを選択するべきか判断することはできず、科学理論の目的をより効果的に果たすことを考えることが必要である。その際、モデルの単純さとデータの適合のバランスを判断する基準としてAICの最小化が有効である。また、AICは相対的な基準であり、競合モデルのどちらがより適切かを判断する基準である。

偏り(bias)と一致性(consistency)

 補正したAICは偏り(bias)がない、つまり、パラメータと期待値の差がないが、一致性(consistency)、つまり、極限で期待値がパラメータに近づくという性質を持たない。一方、BICは偏りがあるが一致性を持つという違いがある。偏り(bias)と一致性(consistency)の両方の性質をもつ関数が望ましいが、一方の性質をのみを持つ場合はサンプル数の大小により、どちらの性質を重視すべきかが変わってくる。
 → モデル選択基準としてAIC, BICのどちらが適切かは問題の状況によって判断するべきである。

◈ 授業の感想

 科学哲学についてのさまざまなトピックについて、理論、モデルの選択という観点から概観し、理解を深めることができた講義であり、科学の描像や理論の選択という問題に対し、どのような立場、態度の違いがあるか、という点を整理し、問題意識を明確にすることができた。
 前半の統計・確率以前の哲学史については、これらの議論においてモデルを前提とした科学描像が共通してあったのかという点については疑問があるが、再構成として考えると問題点が非常に明確になっていると感じた。また、後半の議論については、SGSの問題意識という前提に立てば、議論として明解であると考えるが、モデルとは何か、科学の目的、実践とは何か、という点についてもさらに深めたいと感じた。
 科学教育との関連では、因果推論への統計的アプローチがどのような問題意識の上に位置づけられるかという明確な見通しを持つことは、授業で取り組んだ実習を行う際に広い視野から推論方法について考察することにつながり、それが、科学を使っていく際に科学への理解を深めることに役立つと考える。科学哲学に初めて触れる場合、そもそも科学哲学で何が問題となっているか、具体的な科学と関連づけ、全体像をつかむことの難しさがあるのではないかと思うが、科学について、哲学的議論としては何が問題となっているかということのイメージをつかみ、一貫した問題意識を持つことができるという点で今回の講義は非常に示唆に富むものであった。
 前提となる知識がなく、科学哲学に初めて触れる場合は、ここで取り上げられた内容について、このままでは理解が難しい部分が多いと思われるが、議論の核となる部分をきちんと理解し、科学哲学における問題が何かをわかりやすく伝えることができるよう研究したいと思う。(小野田・記)

(写真左)カンザス州立大学の美術系博物館。授業終了後に展示を見て楽しむ。
(写真右)キャンパスでは、たくさんのリスたちが心を和ませてくれた。

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