光というものでも、昔は人の眼から何物か飛び出して物体に当るから見えると思った時代もある。ニュートンは物体から微粒子が飛んで来るのが光だと考えたが、ハイゲンスが出て来て波動説を称(とな)えこれが承認されるに幾多の年月がかかった。それも始めはエーテルの弾性的の波であると考えられたのが、後には電磁気波でなければならぬと考えられることになった。しかし物理学の非常に進歩した今日でも、光の本性についてはまだ解決のつかない事はいくらもある。これらの歴史を幾分でも児童に了解させるように教授する事はそれほど困難ではあるまい。かようにしていって、科学は絶対のものでない、なおいくらも研究の余地はある、諸子の研究を待っているという風にしたいと思うのである。ただ一つ児童に誤解を起させてはならぬ事がある。

それは新しい研究という事はいくらも出来るが、しかしそれをするには現在の知識の終点を究めた後でなければ、手が出せないという事をよく呑み込まさないと、従来の知識を無視して無闇(むやみ)に突飛(とっぴ)な事を考えるような傾向を生ずる恐れがある。

この種の人は正式の教育を受けない独創的気分の勝った人に往々見受ける事で甚だ惜しむべき事である。とにかく簡単なことについて歴史的に教えることも幾分加味した方が有益だと確信するのである。(大正七年十月『理科教育』)


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Last-modified: 2012-05-22 (火) 10:10:56