新しい現象や量子相の発見と解明は物性物理学を大きく発展させてきました。その過程において新物質の開発は大きな役割を果たしており、例えば銅酸化物高温超伝導体やKitaevスピン液体候補物質の発見は物性物理学における重要な成果の一つと考えられます。私たちの研究室ではアクチノイドまで含めたフロンティア領域での新物質探索の推進により、物理の面白い結晶(Physicrystal)を作り、そして超強磁場下での物性計測や、放射光共鳴X線散乱、中性子散乱、µSRなどの量子ビームを用いた先端測定を進めることよって、新しい量子現象の開拓や量子相の実験的発見を目指します。固体物理学、固体化学を中心とした学際領域の開拓に努め、北海道大学から物質科学研究をリードする様々な物質、材料を世界に送り出していきたいと考えています。
フラストレート磁性体における磁場誘起量子状態の探索
フラストレート磁性体では、古典的な磁気秩序の抑制に伴う量子スピン液体の実現が予想され、その解明に向けて多くの研究が行われています。近年では、数値計算手法の発展により、強磁場下に極めて多彩な量子現象や量子相が存在することが予想されています。例えば、カゴメ反強磁性体では、その候補として量子スピン液体、マグノン結晶による逐次磁化プラトー、マグノン超固体状態、磁化ジャンプ、ネマティック状態などが提案されています。これらを実験的に検証・解明するには、フラストレート磁性体のモデル物質の開発と数百テスラにおよぶ超強磁場下での精密計測を行うことが必要不可欠ですが、モデル物質の欠乏と実験の困難さから未解決の問題として残されていました。最近では、1000 T級の超強磁場発生技術および先端計測技術が著しく発展し、超強磁場中のマクロな量子状態の実験的研究が可能になりつつあります。我々の研究では、モデル物質の開発と超強磁場下先端物性計測を有機的に進めることにより、これらの量子現象を実験的に検証し、磁場中フラストレート磁性について知見を得ることを目指します。
- 量子カゴメ反強磁性体の磁場中フラストレート磁性
我々は量子カゴメ反強磁性体の新物質開発を継続的に行っています。これまでKapellasite型の量子カゴメ反強磁性体のモデル物質であるCaCu3(OH)6Cl2•0.6H2Oの開発に成功し、巨視的・微視的なプローブによって、揺らぎを伴う磁気基底状態の性質を明らかにしてきました[1-7]。最近、新物質InCu3(OH)6Cl3(In-kapellasite)の合成に成功し、その特異なフラストレート磁性の解明を進めています[8]。量子カゴメ反強磁性体は、磁場中でカゴメネットワークのヘキサゴンの中に局在する共鳴ヘキサゴナルマグノンの結晶化によって、1/3, 5/9, 7/9磁化プラトーが逐次的に生じることが理論的に予想されてきました。一方で、量子カゴメ反強磁性体のモデル物質は数少ないこと、いくつかのモデル物質は最近接磁気相互作用が50~150 K程度であり飽和までの全磁化過程を観測するには150~450 T程度の超強磁場が必要なことなどが障害となって、磁場中量子状態の探索はあまり進んでいませんでした。我々が開発したIn-kapellasiteは、10 K程度の弱い最近接相互作用を有するため、50 Tまでのパルス磁場中磁化測定により全磁化過程を計測することができました。さらに、有限温度効果を取り込んだ磁化過程の理論計算により本物質が1/3磁化プラトーを示すことを見出しました。また、プラトー近傍領域では絶縁体であるにも関わらず比熱に温度比例項が存在することを観測しており、何らかの特異な磁気励起が生じていることが示唆されます。本物質における1/3磁化プラトーは約8 ~ 14 T程度で生じているため、定常磁場中でのNMRや中性子、比熱、熱ホール測定など様々なプローブによってプラトー状態を調べることが可能です。今後の研究により、量子カゴメ反強磁性体の磁場中フラストレート磁性の新展開が期待されます。
左図はIn-kapellasiteの温度-磁場相図[8]。右はIn-kapellasiteの結晶構造。磁性元素(Cu2+イオン)をつなぐとカゴメネットワークが現れる。
[1] H. Yoshida et al., JPSJ., 86, 033704 (2017).
[2] Y. Ihara et al., PRB, 96, 180409(R) (2017).
[3] H. Doki et al., PRL., 121, 097203 (2018).
[4] Y. Ihara et al., PRR., 2, 023269 (2020).
[5] K. Iida et al., PRB, 101, 220408(R) (2020).
[6] Y. Ihara et al., JPSJ., 90, 023703 (2021).
[7] H.K. Yoshida et al., JPSJ., 91, 013701 (2022).
[8] M. Kato et al.,Commun. Phys. 7, 424 (2024).
スキルミオンを創発する新規物質の開発
スキルミオンは電子スピンの配列が作る渦状構造であり、トポロジー学の観点から安定性が担保される磁気欠陥として知られています。スキルミオンは、生成と消滅を制御することが可能であり、省エネルギーメモリデバイスの創成に繋がると期待されています。しかし、従来の研究ではスキルミオンの創発には、反転対称性の破れた結晶構造を有しDzyaloshinskii–Moriya (DM)相互作用が働くことなどが必要と考えられ、スキルミオンが発現する物質系は限られていました。一方、最近では理論的な理解が進み、結晶構造に反転対称性の破れがない物質においても、異方的交換相互作用が有効に働くことやフラストレーション等によりスキルミオンが生じることが明らかになっています。このことは、広範な物質においてスキルミオンが生じる可能性を示唆しています。我々は、新規モデル物質の開発により、スキルミオンを実験的に観察することを目的として研究を進めています。
- GdOs2Si2のトポロジカルホール効果の観測
GdOs2Si2は、よく知られたThCr2Si2構造を有する金属間化合物です。スキルミオンを生じるGdRu2Si2[1]の関連物質であり、その創発にはRKKY相互作用と多体交換相互作用の競合が重要だと考えられています。本系のフェルミ面は遷移金属元素からの寄与が支配的であり、RuをOsへ置き換えることでフェルミ面の状態、RKKY相互作用の効果が変化し、結果としてスキルミオンの状態に大きな変化をもたらすことが期待されました。テトラアーク法により育成したGdOs2Si2の単結晶を用いた磁化、比熱、輸送特性により温度-磁場相図を決定し、磁場をc軸に平行に印加した際に、複雑な磁気相が生じることを見出しました[2]。この相図はGdRu2Si2の相図と類似していますが、phase IIに隣接してphase II’が存在することが大きく異なる点です。phase IIではトポロジカルホール効果が観測されており、GdRu2Si2同様スキルミオンの創発が期待されます。本研究は、当研究室の卒業生である林浩章氏(現東大物性研、NIMS、北大理)、山浦一成氏(NIMS、北大理)との共同研究で進めたものです。
Figure is reproduced with permission from H.Hayashi et al., J. Phys. Soc. Jpn. 93, 094702 (2024), ©2024, The Physical Society of Japan.
[1] N.D. Khanh et al., Nat. Nanotechnol., 15, 444 (2020).
[2] H. Hayashi et al., JPSJ., 93, 094702 (2024).
アシンメトリ量子物質の探索と物性評価
最近では、学術変革領域研究(A)「アシンメトリが彩る最子物質の可視化・設計・創出」に参加し、物質に潜む非対称性から生じる機能性の開拓に取り組んでいます。アシンメトリ量子物質とは、物質中における電子状態や磁気状態の非対称性が躍動する物質のことであり、その非対称性は多極子の概念によって記述されます。近年、理論的に大きな進展があり、電気・磁気・電気トロイダル・磁気トロイダルの 4 種類の多極子について完全基底が構築され、物質における如何なる非対称性も記述できるようになりました。物質中の多極子は外場に対する応答と密接に関係しており、創発する多極子から交差相関応答を予想することが出来ます。従来、多極子の概念は f 電子系の電荷分布の非対称性を記述する概念として発展し、そこでは偶パリティの多極子を中心に議論されてきましたが、奇パリティ多極子まで取り込んだ完全基底が構築されたことで、電流誘起磁化現象などの非従来型交差相関応答の予想も可能となっています。実際にUNi4B における磁気トロイダル双極子秩序に起因して電流誘起磁化が観測されており、物質の新しい機能性として注目されています。我々の研究では、擬カゴメ、ブリージングカゴメ、ジグザグ、ハニカム構造などを有する新しいアシンメトリ量子物質を創成し、スケールシームレスな物質系で交差相関現象の開拓を進めます。
アクチノイド化合物の新物質探索と異常物性の開拓
ウランをはじめとするアクチノイド元素を含む化合物は、5f電子特有とも言える異常物性が発現する舞台として注目されています。マクロ物性からは相転移が確認されているものの、その秩序変数が未解明となっている「隠れた秩序」や、一般的には相性が悪いと考えられる磁性と超伝導が共存する「非従来型超伝導」がその代表例です。これらはアクチノイド元素が持つ5f電子によって生じていますが、その5f電子状態の描像は未だ明らかにされていません。理解を難しくしている要因の一つとして、5f電子の波動関数が局在電子(4f電子)と遍歴電子(3d電子)の中間的な拡がりを持つという特徴が挙げられます。我々はそうした絶妙な電子状態がもたらす新たな電子間相関や電子自由度に注目し、「5f電子特有の物理現象」の開拓を目指してアクチノイド化合物における新しい多極子秩序物質、磁性体、超伝導体の開発を進めています。