負の圧力を持つ量子ホールガス:クーロン斥力を起源とする引力機構と伏流電流(Undercurrent)効果

物理学専攻素粒子論研究室

平成12年10月31日

1.電子ガス

 電子は原子を構成する素粒子であると共に、金属や半導体を初めとするマクロな物質の内部に数多く存在し物質の性質を決める役割を担っている。例えば、金属の内部では電子が殆んど自由に動き、近似的な電子ガスが実現している。電子ガスが原子間に引力を与えこれらの物質が形成されているわけである。ところで、電子は負の電荷を帯びているため電子間には電気的クーロン斥力が働くはずである。それなのになぜ引力が働くのだろうか?実は、現実の物質中では、負電荷と同数の正電荷が存在し、全体で中性になっている。また、電子は同種粒子であり、互いに区別することはできない。これらの効果のため、原子間に共有結合、イオン結合、金属結合等が生じ、様々な性質を持つ多様な物質がわずかの数の素粒子から出発して形成されている。
 これら電子ガスはクーロン相互作用の影響を受けるが、その結果として通常の古典的ガスとほぼ同様な性質を持ち、正符合の圧力や圧縮率を持っている。そのため、ガス全体としては、拡散する性質をもち、外部から閉じ込めるためには壁を要し、壁には正の圧力がかかる。しかしながら、特殊な環境下では事情が変わることが期待される。量子ホールガスがその性質を示す、興味深い物理系であることが分ってきた。半導体の界面に形成された2次元電子系に垂直方向に強磁場がかけられたこの物理系で、今まで量子ホール効果を初めとする現代物理学の最も顕著と目される量子現象が発見されて来、さらに最近圧縮性のホールガス状態の実現が確認された。このガスは、通常と異なる特異で興味深い多くの性質を示す。最近の我々の理論的研究で分ったことを以下簡単に説明すると共にこれらと関連しそうな全く別な分野の自然現象についても触れることにしよう。
 現在当研究室では、電子、クヲーク、ニュートリノ、重力、弦理論等の素粒子に関する理論的研究がされているが、本紙面では、量子ホール系の電子ガスについての話に絞る。他の話題については当研究室のホームページをご覧下さい。

2.量子ホールガス:負の圧力と圧縮率

 通常の電子は運動エネルギーと相互作用エネルギーをもつ。運動エネルギーは速度の二乗に比例する。また有限の大きさの箱のなかでは、境界条件のため粒子の速度は箱の大きさに逆比例する幅のとびとびの値をとる。そのため、粒子数が一定の条件下で箱に閉じ込められた電子系の全エネルギーは箱の大きさに逆比例して小さくなる。これは、圧力や圧縮率が正符合であることを意味する。
 ところで量子ホール系では、磁場によるサイクロトロン運動のため電子の運動エネルギーは不連続な値をとり、強磁場下では運動エネルギーは凍結される。これは、電子が動き回らないことを意味する。しかし電子間には相互作用が働く。電子間クーロン相互作用は、同種符合の電荷間に斥力をあたえるため、電子が互いによけ合うように運動が生成された相が実現可能である。運動エネルギーを持つガス状態相では、しかしながら、電子の多体的性質を反映して、このガスは負の圧力や負の圧縮率を持ってしまう。負の圧力は系が収縮しようとする性質があることを意味する。これは、ある種の引力が系全体に生成されることを意味してしまう。

 量子ホール系でガス相を求め、その相の性質を示す圧力等の値を理論的に計算することは非可換座標の場の理論の興味深い問題である。しかし、多少とも、難解なところがあり、本稿では詳細を省略することにする。興味ある読者は参考文献を見て頂きたい。ここでは、計算結果をグラフに示すにとどめる。得られた値は予想通り負の符合を持ち、量子ホールガスは通常のガスと大きく異なることが分った。負の圧力はガスが収縮することを意味するが、正符合の電荷を担うイオンはじつは物質中で動けない。そのため、系全体が収縮することは量子ホール系ではありえない。そのかわり、電子ガスがわずかに収縮してストリップ状の形をなす。このストリップはまた、電子系の端にまではとどかない。そのため、零温度では電流はストリップ状のホールガス状態中を流れない。有限温度では、量子力学的トンネル効果より電流が流れる。

負の圧力と圧縮率:ホールガスの異常な性質


3.伏流電流からのトンネル効果

 量子ホール系では、フエルミエネルギーより低いエネルギーを持つ状態が電流を運ぶ。そのため、ストリップ状のホールガス状態中を電流が流れる状況は、あたかも扇状地で伏流水が地下に形成された領域で、地表面に小さな池(メ厶)ができ、さらにここを水が流れる状況に似ている。量子力学的な計算に基づいて、この電流の値が計算された。伏流電流からのトンネル効果による電気伝導は、整数量子ホール効果の安定性を保証する。整数量子ホール効果は電気抵抗の標準を与えるものであるため、現実的な有限系での整数量子ホール効果を保証するこれらの効果は重要であろう。

4.クーロン斥力を起源とする引力機構

 ガスの圧力が負になり、さらに正電荷を持つイオンが動けるならば、ガスは全体的に収縮する。これは、ガス全体に引力が働いていることを意味する。即ち、電子間のクーロン斥力相互作用を起源とした引力の形成機構となっている。このメカニズムは様々の他の場所でも効いていそうである。

参考文献

[1] K.Ishikawa,N.Maeda,and T.Ochiai, Phys. Rev. Lett. 82, 4292 (1999);
K.Ishikawa and N.Maeda ,Physica B, in press (2000);

[2] K.Ishikawa,N.Maeda, T.Ochiai,and H.Suzuki, Physica, E4, 37 (1999);

[3] M.P.Lilly et al,Phys. Rev. Lett. 82, 394 (1999);
H.Iizuka,S.Kawaji,and T.Okamoto,Physica, E6, 132 (2000);



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